どうせ後がないから、ウィッグなんて不要だ
「ウィッグなんて高価なものはいらない。どうせ後がないんだから無駄遣いしないで」と、病床の母が怒りだしました。普段は温和な性格で、娘の私にこんな口の利き方をするのは初めてですが、父は私に「病気が言わせてるのだから、我慢してあげないとね」と、そうでなくても辛いはずなのに私にまで気づかってくれます。私の性格は母親に似たせいか、短気で怒りっぽいところがあると父は言います。
母と父は私のいないところでよく夫婦喧嘩していたようで、病室を出た廊下のところで、よくそんな話をしてくれました。家族なんて好きで一緒に暮らしているわけじゃない、すれ違いの気持ちや生活があって当たり前だと思っていました。でも母がこのようになって初めて知る両親の姿に、改めて私も苦労をかけていたんだなと気づきました。
母はまだ50才手前で私は高校生、来年には大学受験を控えています。こんな大事なときにと思うこともありますが、いまでは気持ちの整理や割り切りもつきました。
そうこうしているうちに、母の抗がん剤の副作用が強くなり、下痢や嘔吐を繰り返すようになりました。「お前、もういいから帰って試験勉強しないさい。それから悪いけど、医療用ウィッグという専門のウィッグがあるから、母さんの言葉は気にしないで、いいのを見つけたら頼んでおいてくれ」と、そんなことを依頼されました。
ここは病院なんだから、医療の一環でメーカーを紹介してくれるはずと思い、帰りがけに受付で問い合わせてみましたが、「ごめんなさい。当院ではそういう準備はないんです」という答えが返ってきました。
家族っていいものだと、初めて実感した親不孝
仕方なく家に帰り、雑用を済ませる感覚で「医療」、「ウィッグ」でサイト検索し、なんとか納得できそうなメーカーを見つけたのがアンベリールというウィッグ屋さんでした。医療も一般用も同じ被り物なのにと思って電話をしてみると、電話の応対に出てくれたお姉さんがとても親切な感じで、丁寧な口調の人だったのです。
それで私の気持ちはいつの間にか“雑用”ではなく真剣になってしまっていて、着け心地や機能性、3万円を切る安価な値段は品質にも違いがあるのでは?と、かなり突っ込んだ質問までさせてもらいました。入院中の母の頭のサイズについては、測り方を教えてもらって、後日改めて電話注文することにしました。
その話をしたら母は最初のうちは拒んでいましたが、「馬鹿ね、私の頭なんかにお金かけなくてもいいのに。第一アンタ、そんな時間より勉強が大事でしょ、文句言わないからいろいろ迷わないでソレを買って済ませて」と、まんざらでもなく嬉しそうな顔をしてくれました。
おそらく母も思ってもいなかったほどの安さに安心したのでしょう。頭のサイズと身長をメーカーに連絡して、ウィッグが届いたのは翌日の午前中という早さでした。病室で試着したらピッタリはまって、そのうえ着けているのが気にならない軽さだと感激してくれました。
「ありがとね」という一言を照れくさそうに言った母の目からは涙が薄っすら流れていて、私は病室を駆け出して泣きました。家族っていいもんだというのを、母が自分の身を犠牲にして教えてくれたような気がします。