看護師を定年退職して見えてきたこと
私は長い間、看護師の仕事一筋で生きてきました。他の会社や業界で働いた経験がなく、病院はいくつかを経験しましたが“職場はつねに消毒液の臭いが染みついた医療機関の中”でした。看護師としてスタートして前半は整形外科、形成外科、中盤以降は神経外科、精神科といった領域を経験しました。
65才で定年退職した後、看護師不足ということもあって職場復帰し、再び10年近く勤務しました。そして数年前にようやく年金生活に入りましたが、その矢先に癌を発症しました。 元看護師ではあっても他の科目は門外漢で、勤めていた病院には癌治療の専門科はなかったので、見ず知らずの病院で診察を受け、病理検査で発覚しました。不思議なことに、「うれしいご報告とは逆で、腎臓に悪性の腫瘍がみつかりました。ステージがすすんでいますので早急に腫瘍摘出と抗がん剤治療を」と医師から告げられたとき、私は、自分がこれまで看護師として患者に接してきた“自分の姿勢の冷たさ”を思い起こしていました。
「医療と患者というのは、こんなに冷たい感じがする関係だったのか」と。おそらくそのときの私は、癌と告げられことより、そちらのほうがショックだったのだと思います。
医療と患者の冷めた距離感は正しいか
それで、癌との闘病生活がはじまってからは、医療と患者、あるいはそれらを含めた治療環境というものをできるだけ細かなメンタルなところ(患者が欲しているものを医者はどう提供しているか、看護師はどのように接し患者の不安を解消しているか)を観察すりようにしてきました。
私は癌で治療を受けていましたから、たとえば私自身も、「医療用とウィッグ、ウィッグと医師や看護師」といった側面で客観的に見つめることができました。もっと言えば抗がん剤の副作用に対する恐怖を、この看護師や医師はきちんと取り除いてくれるのだろうか、脱毛が分かっているのに、この医者はいまだにウィッグのことを言って来ないな、というような見方です。
現役を隠退してからの私が、いまさら何を手遅れなという気にもなりましたが、自分が患者の身になって初めてそれに気づいたような次第です。医師も看護師も、血を見ることや生死の境目に立ち会うことが当たり前になっていて、そこにある患者の感情に手を差し伸べる余裕はないのが実情です。感情に触れて逆に動揺させてはいけないという原則のようなものもあります。 今回の入院では、患者のメンタルな部分のサポートについて、こんなにも距離感があったのだということを身をもって知らされました。私が入院した病院では、抗がん剤の副作用についてや鎮痛剤の説明はありましたが、私の不安を取り除いてくれるような説明にはなっていませんでした。
同様に医療用ウィッグの存在は教えてくれましたが、それ以上のことはほとんど教えてくれませんでした。過去の私も看護師としてまったく同じであったのかと反省しています。